ジャズと仏法、そして人生を語る 20214.8.4
私は近年の「SGIの日」記念提言でも、原爆投下から七十年にあたる二〇一五年に広島と長崎で、各国・首脳や市民社会の代表が一堂に会して、核時代に終止符を打つ意義を込めた「核廃絶サミット」の開催を提唱しました。
2024.11.21
我らの勝利の大道 2013.8.31
私にとって9月8日は、来る年、来る年、弟子として決意も新たに、平和を祈り、平和への対話を起こす日なっていた。
だから私はこの日を選んで、『日中国交化正常提言(1968年)を発表したのである。』
人の縁は、どこでどうつながっているのか実に微妙、いな精妙、いな絶妙なりとしみじみ思う。
2024.8.11
2013.1.27 2030年へ平和と共生の大潮流
私が国交正常化提言を行った当時(1968年9月)は、中国との友好を口にすることさえ憚られる空気があり、ある意味で、現在以上に厳しい状況にあったともいえます。
国交正常化後、中国から初の国費留学生6人を私が身元保証人となり創価大学にお迎えしたのが1975年でしたが、歳月を経て、今や中国から年間10万人の留学生が日本で学び、中国では1万5000人の日本j人が学ぶ時代が到来しています。
私は以前、北京大学での講演で「両国の間にいかなる紆余曲折が生じようと、私たちは断じて友好のともなべから手を離してはならない」と呼び掛けました。まさに今が、その一つの正念場であるとおもえてなりません。
おもいかえせば、冷戦終結まもないころ、ソ連のミハイル・ゴルバチョフ大横領にお会いした時(190年7月)私は開口一番、「きょうは大統領と〝けんか〝をしに来ました火花を散らしながら、何でも率直に語り合いましょう!人類のため、日ソのために!」と、切り出しました。
このような言葉の表現をあえて行ったのは、日ソ関係が不透明な中、〝儀礼的な会見に終わらせず、本音で語り合いたい〝との思いをつたえたかったからにほかなりません。
2024.8.6
文学A